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酒場ノ与太話 Blog

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[ゲ製+日記+思考]宗教観。

このブログ書くのに、古PCでログインできないからあせっていました。やっとログインできた……。
古PCをネットには最低限にしか繋がない(今のPCではつい環境がそろいすぎて、色々あっちこっちしてしまう。主にツイッター)作業用PCを使うようになってから、日記をちゃんとつけるようになった、ような。
 
ツイートする分をこっちにまとめちゃってるだけな気もするけど!
作業の合間に日記を書く、くらいがちょうどいいのかなあ自分には、と思ってみたりなんたり。
ずっと人がワイワイしているところに居るのはそういえば昔から苦手だなあ、とか。(そのわりに、そのワイワイが自分を含めて、だと楽しんでたりしますが)
 
いや一番の原因は、水は低きに流れる、つまりちょっとだりーとか思えばツイッタークライアントを覗いてしまう集中力バイバイ状態、なんですが。
 
<ゲーム製作>
ゲームシナリオの下書きをしています。
普通はRPGはせりふとかはウディタ〔またはそれに準ずるツクールなどのツール〕で直接書くのが主流なのかもしれませんが、自分は一度テキストにメインストーリーを全部書きます。
前のやつもプロットまではそうしてたけれど、短い話だしと直接書いてた覚えはありますが、今はそうしています、一応長編だしね!
下書きとして一度全部書いた後、また推敲のために、そして客観的に見るために最初から見直していく、と……。昨日も書いてたことなのでハショります。
 
一ヶ月スパンくらいで考えてるのですが、もっと早く終わったらブログにうpできるような類のものへの作業が出来るんだけどなあ、ううむ。でもここで手抜きはしたくない。
ちょっと疲れたらドット絵でも打つか、ってそのくらいで考えています。
 
何かひとつ、突出したものがあればなぁ。割合、浮気性な気がする。
まぁ、好きなものこそ上手なれ!
 
<日常>
ようやく雨がちょっとはあがってきてくれたので(秋雨前線の影響で雨続きだったので、自転車と徒歩しか交通手段のない私にはつらかった)、書類を取りに行ったりなんたりしていました。ハローワークのセミナーが近い、緊張します。
 
そういえば福岡で竜巻が発生したとか。
私の住んでいるところでも2004年に一度それより大きな竜巻が発生したことがあるんですが、覚えていません。あー風の強い日だったかなーみたいなそんなかんじ。夢にはよく出てくるのですが実体験は覚えてない。あと本当小さい頃にすごい台風きて家に看板刺さってたらしいけどそれも覚えてない。車庫には今でもそのころの傷はあるんですがね。
 
私の県でも、というか私の住んでる場所付近では、結構前(夏到来前くらい)にも数回竜巻になりそうな強風・雨雲がありました。比較的起こりやすい、みたいですね。
竜巻起きたらどうしよう、外に出るなガラス窓のある部屋にいくなって、窓のない部屋なんてないから逃げ場がない。そして何よりハーブを見捨てることなんてええええ! 
ぶっちゃけ倒れる程度ならいつものことなので、それくらいで済めばいいんですが。済まないよね絶対。
前特集か何かで目にしたんですが、強い竜巻が接近してきたときに、逃げ場がなくてバスタブの中に入って毛布で自分を覆って蓋して篭った人が家崩壊状態でも助かってた、みたいなのがあったのを思い出しました。かなり昔ですが。いざきたらそれを試してみることにしよう。
 
ちなみに不眠二日目。
心臓がうるさくて眠れません、頻脈見てもらったがいいのかなあ……。
薬が減って胃への負担は減ったはずなのに胃が痛くて仕方ありません。
 
<ふと、思ったこと>※以下自分の宗教のありかたなどに関して思ったこと記述。
何か憑いてるんじゃないかと唐突に不安に思い写経でもしてみるかと思ったのですが(※写経の本来の目的は除霊とかじゃなくて自分の心を清めるため、精神をやすめるためのものです、だと思います)、これ、中途半端な気持ちでやっちゃダメなんですね。
ものすごく集中力と、途切れない時間が必要で、その上書き終わったらお寺にお金払って引き取ってもらわないといけないっていう。自分で供養(?)してもいいみたいですが、ちょっと不安ですね。
化学現象的に言えば、紙に墨がついたのを燃焼させるだけの行為。けれど、人はそれに意味を見出す。
 
現在、医療や科学が進んだ今でも、分からないことはたくさんある。昔の人なんて、それこそ分からないことのほうが多かった。でも、人間は暗闇を恐れる。分からないことが怖くて仕方ない。
だから、分からないことに意味を付け足して筋を通して理解するために、宗教なり信仰なんなりが出来たのかなぁ、とか。人の常識をある程度統率して、まとめるためとかの役割もあるでしょうが。
 
何が言いたいかというと、現代人にだって分からないことは多いし、あくまで人の集まりに過ぎない。そうなると、発達した科学では説明できないことが、もっと分からなかった時代よりさらに怖くなる。そして、異端が目立つようになる。
今社会はギスギスで、どんどん人の心にストレスを与えるようなことのほうが多い。人間が自分で作ったのに、ともすれば自分たちを一斉に殺しかねないものだってある。
そういう「どうしようもない気持ち」への対処の仕方って、いまも昔も、そんなに変わってないんじゃないかなあ、とか。
そんなこと思って写経なんてしようと思ったりしたんですけど、(以下リピート)
 
人間に強い人なんていないのに、宗教とかを信じてるほうがダサい、よく分からない、頭が弱いんじゃ、みたいな風潮のある今の日本(と、自分は感じる。そうじゃない、重んじてる人ももちろんいる)。
それは、人間が自分たちの弱さを克服するために身に着けた知恵のひとつだったはずなのに、科学という武器を手にしたことで捨ててきてしまったものなのか、それとも捨てるように導かれてしまったものなのか。
妖怪とか幽霊はファンタジーのなかでしかもういない、許されない。
(って書くと、なんか幻想郷の設定を思い出すんですが)
 
温故知新、古いものにも良いものはある。
昔の知恵の中には、今でも何故そうなるのか実証がとれてないのに何故か解決する、みたいなものだってある(民間医療の一部とか?)
 
というわけで(?)、今の自分にはそういう世界も見る目が必要だなあ、と思った次第です。自分がどの宗教にあるからコレ一徹! とかではなく、それを信じる人の価値観だとか、その世界観だとか。
色々神話とか心理の本を読んでいたから、ちょっと影響受けてるかもしれない。
 
そして自分もそういうのを信じてみることとか。
すると、色々な問題も、ある程度のスジを通して納得できて、自分の心に余裕が出来るよなあ、と。
食べ物食べてもうまく消化できるようになったよ! みたいな。
 
私の妹が言っていたことですが。
「過ぎたこと、過去のことを何回も思い出してくよくよしても始まらない、それは汚いまま心にあるから何度も思い出すんだ、反省して、『次からはこうしよう』って、それだけを心に決めて戻して、綺麗な形で保存してやればいいんだよ」
自分は、それを聞いてからわりあい、イヤなことを思い出しては自己嫌悪して勝手にネガティブになることは少なくなったように思います。多分。
 
なんか次々論点変わってしまった、まとまらない。どうしよう。
とりあえず、……がんばります、いやがんばってます!

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